水とともに変わりゆく越谷

東京と北を繋ぐ主要交通

越谷市は市のおおよそ中央に南北に縦断するように東武スカイツリーラインが走っています。この路線は都内の浅草やスカイツリーから日光までを繋ぐ路線です。この路線に並行して江戸時代の五街道である日光街道がありました。現在ではこの鉄道路線であるスカイツリーラインのそばに首都圏と東北を繋ぐ国道4号線が走っています。
縄文時代までは海底だった越谷周辺地域は多くの河川がある地域でもあります。河川の上流から運ばれてきた土が滞積していき少しずつ広い平野が作られていったのです。
1000年代頃から1200年代にかけて日本の政治の中心地が関東となり、その時期に平野部が農地として開発されました。
江戸時代には日光街道・奥州街道の宿場町として整備され、周辺の河川の治水事業が行われました。

多くの河川がある地域でもある

自治体の中に多くの河川があるため、その河川による水害が中世から変わらず懸念される地域でしたが、現代に入り、1991年に大吉調節池が、2014年に大相模調整池が整備されました。かつて多くの水田がその川の水を保水・遊水してきましたが、戦後のベッドタウン化によって水田が減少していきました。これらの調整池は水田に変わって河川の水量を調整する役割を果たしています。

治水のために大規模な都市計画が

大相模調節池はその都市計画の一環としても利用されています。大相模調節池の周辺には現在越谷レイクタウンがあります。JR武蔵野線の新駅も開通し、大規模な区画開発が行われました。建設されたショッピングモールは日本で最も大きなショッピングモールとして知られており、多くの買い物客が市内外から訪れています。また、調節池の周辺は宅地としての区画整備が進み、駅の周辺には集合住宅が、少し離れた場所には多くの戸建てが建設されています。ショッピングモールが建設される際にはその周辺にあった見田方遺跡公園や旧越谷市斎場は移設されています。見田方遺跡には郷土資料収納館があり、古墳時代の住居跡から出土された土師器や須恵器などの土器類などが保存されていましたが、現在ではそれらの資料は市立図書館に移動されています。

越谷レイクタウンの場所にあった越谷市斎場は

旧越谷市斎場は現在の越谷レイクタウンがある場所にありましたが、取り壊しとなり、現在では5キロほど北の増林地区に設置されています。
かつての越谷市斎場が火葬のみを行う施設だったのに対して新しく設置された越谷市斎場は葬儀式場を併設した大型の葬祭施設となっています。