変わりゆく葬儀の形 どこでどのような葬儀を行うべきか

家族葬という言葉に表される現在の葬儀の様相

葬儀の傾向というのはその時代を映しています。現在では葬儀は小規模化している傾向にあります。かつては多くの弔問客が訪れ盛大に行うものであった葬儀は、現在では小規模で本当に親しかったものだけで行うようになってきています。
葬儀のことについて調べていると「家族葬」という言葉を目にすることがよくあると思います。家族葬という言葉の本来の意味は家族のみで行う葬儀というものでしたが、現在では、一般弔問客を断って行う葬儀という意味合いで使われていることが多いです。そのため、必ずしも家族だけで行う必要はなく、家族以外に親族や親しかった友人など故人を含めて行う葬儀のことを家族葬というのです。

故人と葬儀を執り行う側、そして弔問に訪れる側

葬儀は、葬儀を執り行う喪主側の人間と葬儀に弔問に訪れる弔問客の二種類の人間によって構成されています。
喪主側の人間は弔問に訪れた客をもてなすのがその役割です。反対に故人から遠い人間、仕事関係の方や面識があるだけの人などは弔問客として訪れます。また場合によっては親戚なども弔問客として扱うこともあるでしょう。しかし、この構造に関して多くの消費者が疑問を覚えたのでしょう。少しずつそうした形式の葬儀は減少してきています。
葬儀の本来の意図というのは亡くなった方がきちんと成仏できるようにということを目的として行われていたものです。しかし、葬儀の方向性というのは故人に対するものよりも、葬儀に弔問する方、故人が生前世話になった方に対して行われるものになっていました。
葬儀は亡くなった人のために行うものという考えは古今変わらないでしょう。しかし現在では葬儀は遺族の方のために行うものでもあるという考えもあるのです。宗教的な意味ではなく現実的な役割として、亡くなった方にお別れをする場であるという考えが強くなったのです。グリーフケアと呼ばれるこの考え方は現在では一般的なものになっています。そのため弔問するお客さんよりもまず先に、故人が亡くなって最も悲しい遺族の方を第一に考えるようになったのです。
多くの弔問客がいる従来の形式での葬儀では、遺族の方が故人を悼む時間がきちんと確保できないということも理由として挙げられるでしょう。

葬儀が大規模だった1980年代とは経済的な理由がことなるという背景も

また、葬儀が小規模になっている背景には経済的な理由もあるかもしれません。大正時代にも同じように華美になりすぎた葬列を辞め、弔問客がきちんと故人にお別れを告げることができるように、現在の告別式が作られたという背景もあります。1980年代のバブル期に華美になりすぎた葬儀が、現在では小規模な形式になっているというのも大正期と同じように経済的な理由も背景にあるかもしれません。
家族葬の形式が増加しているのもそうした背景から起こっているのでしょう。従来の形式では華美になりすぎたお通夜や告別式に対して、遺族、親戚、本当に親しかった友人だけで葬儀を行うというのは、形式化された葬儀というものをより現実的に意味のあるものに戻そうという動きなのかもしれません。

葬儀を行う場所も自宅から民営の式場へ、そして公営の斎場を利用する人も増加している

そうした流れに則するように、葬儀を行う場所も変化してきています。以前は葬儀業者の所有する大規模な葬儀式場で葬儀を行うことが多くありました。しかし現在では葬儀式場は民営の小規模なものや公営斎場などが中心になりつつあります。特に葬儀に対して希望がない場合などは公営斎場などの比較的費用面で負担の少ない斎場を利用する人も多くなってきています。
また、そうした公営斎場の葬儀式場がしっかりしたものになってきているという背景もあるでしょう。たとえば越谷市・松伏町・吉川市で利用可能な越谷市斎場は民営の斎場にも負けないような、現代的で清潔な空間となっています。従来の葬儀施設にあった暗い雰囲気などはなく、自然の光をふんだんに取り入れたデザインとなっています。
葬儀の形式・規模・場所・方法などは時代によって変化します。葬儀というものは画一的なものでありません。以前どのように葬儀を行っていたか、ということよりも現在どのような状況で、どのような葬儀を行いたいのかということの方が重要です。規模の大きな葬儀を行わないという場合やできるだけ予算を抑えて葬儀を行いたいという場合には公営斎場を使った小規模の葬儀を行うというのもいいかもしれません。