人間関係の変化、葬儀の変化

グループとグループから個人と個人へ

現代は人間の歴史の中で最も情報が豊富にある時代だと言っても過言ではないでしょう。新聞や雑誌ですら紙媒介ではなく、電子情報で発信されるようになった現在、情報の流入は人と紙そして声によって行われるのではなく、ネットと人によって行われるようになりました。

情報の革命により、人同士の関係性も変わっていきました。メールやウェブ、SNSなどにより個人が簡単に繋がれるようになり、専門的な情報であってもその情報を持っている人を探したり、また本を読んで調べなくても見つけられるようになったのです。

そのため人と人とのつながりも変化していきました。以前のように共同体内での繋がりよりも個人と個人のつながりが強くなっていったのです。

家族の友人などであっても全く知らないということすらあり得るのです。また発信が多様になったことはひとつひとつの関係性が弱くなるという状況も引き起こしたのです。

お寺とは葬儀のときだけの関係になりつつある

葬儀におけるこうした状況の変化というのは、菩提寺と檀家の関係にも表れています。以前はどの家にも縁の深い寺院がありました。しかし現在では、都市部を中心にどこのお寺とも縁がないという家も少なくありません。

仏教式の葬儀を行う場合、宗教者は不可欠になります。しかし、従来のように菩提寺に依頼するということができない人も多くなってきたのです。

その解決方法として葬儀を行う業者に僧侶の派遣を委託するという方法や、またインターネットで僧侶を探すという方法も行われるようになりました。

葬儀のときの取り仕切りを代行してくれる葬儀社

同様に葬儀社に関しても同じようなことが行われるようになりました。この場合は僧侶の派遣とは少し事情が異なります。僧侶の場合はもともと関係性があったものが時代を経ることによってその関係性が薄まり、以前は依頼をできていたものが依頼できなくなった、というものです。

一方で葬儀社の場合は以前は地域等で葬儀を行っていたため必要がなかったものが、現在ではそうした関係性がなくなったため、あらためて葬儀社への依頼を行わなければならなくなったという背景があります。

個人的な場所から公的な場所へ

また、葬儀を行う場所に関しても同様のことが言えるでしょう。葬儀を行う場所が自宅や公民館から変化していき、現在では大部分が斎場で行われるようになりました。

斎場に関する要望は急激に高まり、現在では多くの自治体によって公営斎場として火葬場併設の葬儀式場が作られるようになりました。

埼玉県にある中核都市でもある越谷市でも越谷市斎場が作られています。越谷市斎場は埼玉県の東南部地域である越谷市、吉川市、松伏町に対応した広域公営斎場です。二市一町の葬儀を行うために建設されました。