文化の違い

葬儀の違い 地域によってことなる習慣があることも

文化というのは場所や時代が変われば大きく変わってくるものです。言葉や食べ物、儀式や風習など、その地域には独自のものがあり、ときにはそれに驚かされたり感心させられたりすることもあります。

文化は伝播し定着することによって認識されます。いくらその人だけがこういうルールであると主張したとしても他の人も同様にそれを当たり前のものだと認識しなければ文化として認められることはないでしょう。

各地における葬儀の文化の違いとは

そうした地域差のあるものとして葬儀があります。情報の流通や人口の流動性が高まったことによって少しずつ画一化されてきたものの、葬儀には今でも地域差があります。例えば北海道の葬儀では香典に領収書がでます。

埼玉県の北部では葬儀の際に死装束を着けるのが故人ではなく参列者だという地域もあります。京都や大阪などでは友引の日に火葬を行う場合には友人形と呼ばれる人型を棺に入れます。沖縄では枕飾りとして肉をお供えすることがあるそうです。

こうしたものというのは根付いているものであり、ひとつの文化でもあるのです。

法令などによって変化して行ったものも

一方で葬儀のルールに関してはさまざまな事情から公的な力によって変化して行ったものもあります。そのひとつとして霊柩車に関するものがあります。

後部座席の屋根の部分が金色になっている宮型霊柩車というものがあります。以前は比較的見られていた宮型霊柩車ですが、最近では少しずつその数を減らしているようです。
その背景には周辺住民への考慮というものがあります。

日本で広く信じられていることとして「霊柩車を見たら、親指を隠さないと親の死に目にあえない」というものがあります。霊柩車は葬儀に関するものであるため、そうした迷信が広がったのでしょう。葬儀に関するものは不吉であると考える日本人の信仰心からそうした風習は広がっているのでしょう。

しかし、葬儀場や火葬場というものが作られている現在、葬儀場の近くや火葬場の周辺などに住んでいる人は常に霊柩車が走る光景を目の当たりにすることになります。そのような場所に住んでいる住民に考慮してそうした宮型霊柩車を利用しない葬儀社も増えてきているのです。

埼玉県ではほとんど見ることのできない宮型霊柩車

越谷市、吉川市、松伏町の場合、越谷市斎場で火葬を行っています。埼玉県では火葬場は公営の施設であることがほとんどです。そのため霊柩車に関する条例が埼玉県から制定されました。
それは公営斎場において宮型霊柩車での搬入を禁止するというものでした。もちろん越谷市斎場も宮型霊柩車の乗り入れは禁止されています。そのため埼玉県ではほとんど宮型の霊柩車を見ることはできないのです。